いまさら気づいたことですが

“神経”とか“精神”とかって
“神”って文字が使われているんですね
これなら“鬼”を使った“魂”より
“精神”を重んじるべきなのかも
神との対話』を読んでから
精神と魂の使い分けが逆になってたかもしれない
それともソロンさんが書いている“精心”が正しいのかな

5年くらい前 白水大師の住職はそう使っていた
当時は?だったけど
ぼくが一番興味のある話をされたのに とてつもなくつまらなかった
あれで あの人に近づかなくなったんだっけ