葬儀にいらっしゃれなかった方のために

ぼくの弔辞です


伴子さん、4月23日に電話が鳴って、あなたの訃報に接しました。もっと一緒に遊びたかったのに残念です。お嬢さんの千○さんから、赤○邸を案内していただいたのが、はじまりでしたね。あなたの気さくな性格のおかげで、初めてお会いしたのに、初めて会ったような気がしませんでした。それからは、長野に嫁がれた千○さんぬきに、おつきあいをさせていただきました。いつ、うかがっても、すぐに招きいれて、おいしいお茶をいれてくれましたね。味をしめた私は、遠方からお客さんが来ると必ずお邪魔させていただきました。からだがきつい時もあったでしょうに、いつも笑顔で迎えてくれて、ありがとうございました。

お花見に佐土原まで行ったこと覚えていますか? あれからは、何度か、鍋を囲んでお酒を飲みましたね。あなたは、うちの父や伯母の話し相手になってくださり、私のどんな年代の友達ともすぐに打ち解けて仲良くなっていました。ああいう時の伴子さんは、頬を桜色に染めて20歳は若く見えました。

伴子さんは「私は口が悪いから」と口癖のようにおっしゃっていました。でも、私は知っていました。あなたは悪口を決して言わないで、ただ、「これこれこういうことをする人は、私はすかん」とピシャリ。決して言いたいことばかりを言うのではなくて、言わなくてはいけないことをおっしゃる方でした。そして、厳しいことをおっしゃりながらも、いつも心配りを忘れない昔気質の方でした。小さいからだでしたが、背筋がピンとして、私にとっては、まるで武家の奥方のようで、そんなあなたを笑わせるのがこちらも楽しみでした。ずばずば言い合う関係になってからは、失礼なこともたくさん言ったかもしれません。今更ですけど、赦してください。

伴子さんと私の共通点知っていますか? 毒舌家だけど虫も殺せないってところです。家に入った虫は何でも逃がしていましたね。それから、変わり者ってところです。これは「変わり者同士で仲がよかった」とお嬢さんたちもおっしゃっていたので間違いないと思います。そして、それを証明する証拠が出てきました。この弔辞です。あなたは、生前から私に弔辞をお願いすることにしていたそうですね。軽く引き受けてしまった私も私ですが、たくさんいるお友達の中から私を選んで大丈夫だったでしょうか。実は、アドリブでこんなことあんなことを話そうと思っていると家族の者たちに相談して猛反対されました。ですから、これでもまじめにしたためたつもりです。初めての貴重な体験をさせていただきまして、ありがとうございました。

もうひとつ伴子さんとの共通点がありました。それは、この町が大好きだということです。あなたはみんなのお母さんでした。私の亡くなった母とも同い年だったんですよ。

伴子さんの留守中も、お子さんやお孫さんたちと家族ぐるみのおつきあいをさせてくださいね。これからもよろしくお願いいたします。
では、お母さん、いってらっしゃい。