なぜなのか?

『教祖様』が届き開くと
またも「国うみ」の話が出てくる
もう何冊目だろうか?
どうなるのか分からないが
自分なりの解釈ができるまで続きそう


ぼくはこうしてT理教の関係本を読んだりするが
別に信徒でも信者でもない
流れで来るものを勉強するだけ
きのうはいつものキリスト系宗教の若者が見えて
話をしたが
いいものはいいと思うし理解できないものはできない
ただし誰が言っている神も同じはずだと思っている
宇宙人の神も地球人の神もみんな一緒という
山村幸夫さんの意見に同じ


んで その若者とこれまた創世記の話になって
はじめに言葉ありきの所(ヨハネ福音書)を見せてもらったのですが
翻訳者としての意見をば伝える
コレでは分からない
どっちにでも取れる訳(やく)では
また分派してしまうのではないのかな?
で 普通の聖書を見ると同じ訳でした〜
特殊な訳をしているとの偏見がうんだ判断でしたな
なので今度はこちらも同時にお勉強


卒論も書いたことないのに
国うみで何か書けそう